公演後、打合せ通りにアオ殿と落ち合った。青い髪がよく目立って助かった。
先日の非礼を詫びるとあちらも土下座し謝罪合戦になってしまったので、やめましょうと合意する。マキさんには席を外していただこうと交渉したが、あんまり食い下がられてアオ殿から「居てもらって」と苦笑された。
「……座長として……公演の感想、聞いてもいい?」
「楽しかったです。息がぴったりで、素敵な演奏でした」
「うっ、……ううん。楽しんでくれたなら嬉しいよ。ありがとう」
母の話よりだいぶ平和でほっとした。眠たい演奏なんかやめてしまえと奏者ごと蹴散らし蹂躙して滅茶苦茶やってたと聞いたから、才能で周囲を煽る類の変人集団だと思っていた。穏便に仲良くできるんじゃないか。よかった。
アオ殿がそわそわしながら私に尋ねる。
「楽団に来てくれたり……ごめんなさい無理強いはしない、」
「いえ。私はきっと、歌えたとしても此処には来ません」
私は人殺しだ。負い目はなく、今も後悔はない。だから駄目だろう。人を傷つけるのに抵抗がない人間だ。溝は決して浅くない。
私も、異なる価値観の集団では生きづらい。楽団員はもっと嫌だろう。武器を振るい人を傷つけてきた実績のある相手に怯えるなというほうが無茶だ。
「もし兄に、母の様なふざけた脅しがされた時。楽団がその他の理不尽な悪意に晒された時はご用命ください。……私の細腕では頼りないかも知れませんが、当便利屋がきっと皆様の助けになります」
――優しい人が、優しいままであれるよう。
便利屋頭目に理想の社会を問われ、かつてその様な答弁をした。理想と呼べそうな唯一の指針を明確にしていたのは無駄ではなかった。
この理想を最も叶えられる場所は、楽団ではない。
「……お母さんが舞台を追われたのは、戦えなかった俺達のせいだよ。君がそこに立つ必要は無い」
「違います。母を加害したのは母を脅迫した人間ですし、就業経緯はどうあれ私は暴力稼業と水が合っているようです。公演を拝聴してよく分かりました」
菓子折に控えめな花を一輪添えて、アオ殿に差し出した。
アオ殿は唇を噛んで黙っていた。菓子折を受け取る手が震えている。
「……君を引き込むに足る演奏が出来なかったこと、本当に情けなく思う」
彼は頭を下げ、私に紙片の束を渡した。
「生前から、お母さんが頼っていた人達の連絡先です。……俺も含めて全員、本当なら、相良ちゃんを死んでも助けたかった人達です。いつでも必ず力になります」
彼らには、私の事情を明かしてしまったと謝罪された。秘密は守るとも。目的が協力要請なら致し方ないだろう。善意は有難く、申し訳なかった。
「……幼い頃から、母や私達の生活を支援して下さった方々ですよね。お礼を伝えていただけますか」
「……相良ちゃんは、気付いてたの?」
「母は妖精さんだと濁していましたし、私も友人から指摘されるまで疑いませんでした。支援があるなら誰かがいると、そんな事にも気付けない子どもでした」
長居は無用だ。そろそろ帰った方がいい。
場を辞そうとする私を、アオ殿が真っ直ぐ見つめる。
「和泉に、会いたくはないですか」
その問いには答えを出してきた。
「ごめんなさい。会いたくないです」
兄には知られたくない。気持ちのいい話でもないから。
暴力稼業が危険だから会えないなどと並べた理屈もまやかしだ。
私が、兄に会いたくないのだ。綺麗な人に、綺麗じゃないものを見られたくなかった。不快と、恥と、怯えに近いもの。たったそれだけ。
情動の自覚にここまで時間が掛かった。この程度の感情を理屈で覆って正当化した気になっていた。だからマキさんは気持ちを問うのだ、自己の内面を知覚しろと。無自覚に蠢く情動の正体を考えさせようとする。
内面と向き合う訓練は、職業選択にも役立ったのだと思う。好まない選択肢を除外していく。楽団は違う、私の指針にそぐわないと決断できた。良いことだ。
「……相良ちゃんの気持ちは分かった。ありがとう」
すんなり受け容れてくれたことが意外だった。
アオ殿は兄の養父で、恐らく実父だ。歌の素養の有無に関わらずとも、家族が一緒に居られることを良しとする人柄だと思っていたから。
「……和泉には何も伝えてない。誓ってこれからも秘密にする。……負担を掛けて本当に申し訳なかった。相良ちゃんのお師匠さんにもお礼を伝えてください」
「、……まさかとは思いますが、師匠がなにか失礼を」
「えっ……いや、それは……口止めされてるから言えないんだけど、……ものすごく、ひとの気持ちが解る人なんだなと思った。ちょっと怖いけど……」
口ぶりを鑑みるに、師匠が説得してくれたのだろうと勘づいた。師匠はやけに悪人ぶりたがるので、この類の気遣いを悟られることを嫌う。黙っておこう。
でも、アオ殿に口を滑らせる分には構うまい。師匠から頂いたものは本物だ。
「とても思慮深い方です。師匠に拾っていただけて、幸運でした」
目前のアオ殿がボロっと泣いた。さすがに動揺した。
理屈は知らないが涙もろいにもほどがある。涙腺の緩さは兄の実父なだけあるなと混乱しながらマキさんに助けを求めたが渋面で首を横に振られた。どうして。
とにかく涙を拭う。アオ殿もアオ殿でしゃくりあげながら喋るから声が全く判読できない。重ねてマキさんから「帰るぞ」と言われた。これ放っといて帰れと言うのか。
「お前の兄が、」
暖かいものに抱き締められて、マキさんの意図を、理解した。
同じ背丈、同じ声音に髪の色。手足の大きさまで全く同じのもう一人。
「……さがらだ。……ほんとに、さがらがいる……」
舞台衣装のままの兄が、アオ殿に劣らずぐしゃぐしゃに泣いていた。成長した身丈で幼少期よろしく全力で締められるから苦しい。鍛錬してなければ息が止まったかもしれない。
マキさんがすごい剣幕でアオ殿に迫っている。殴り掛かる勢いだ。猶予が無い。
大丈夫。だって私は「見られたくない」だけだ。
有事に備えて用意はしてきた――抱き締める手に応え、兄の頭を優しく撫でる。
「お久しぶりです、兄さん。元気そうで良かった」
偽ればいい。「綺麗な妹」の声を。
