「楽団の公演を拝聴して、座長殿とお話したく考えています」
案の定、マキさんからは反対された。
けれど本題は楽団ではない。自分の身の振り方を考えるにあたり、楽団という選択肢を直視する必要があるというだけ。――仕事に依存しかけている気付きを伝え、その解消の為だと説明したところ、態度が若干軟化した。
師匠から「辞めてもいい」と言われたこと、翡翠殿から「雇うよ」と言われたことをかい摘んだ辺りで頭を抱えはじめたが。
「……待、……頼む、言わせてくれ。大切な友人なのは重々承知しているが翡翠という遊女の雇われ口は勧められない」
「寝物語に読み聞かせをするとしか伺っておりませんが……雇用条件の通知も頂いていない段階で判断も出来かねるかと」
「……お前の母親が補習のために恋愛譚を読ませていて、それでも一切身につかなかったことだけは理解した」
会話が膠着して進まなくなった。今したいのは未だ来てもいない雇用口の話ではない。
「自分で考えて、選ぶ機会を頂きました。……きちんと結論を出したいです」
いずれは向き合うべき場所だ。遅いか早いかだけ。
アオ殿から切符を頂けた。挨拶の品を良いとこの菓子折にして釣り合わせねば。
血塗れた職種で恨みを集める「琥珀」の姿は避けねばならないが、仕事着と男装以外の服が無い。以前使った白い洋装を見つけ即却下されたものの真っ昼間からそれで外歩くほど阿呆だと思われているのか。
マキさんに善良な町娘の服を見繕ってもらった。彼は女性経験が豊富なので服飾の感覚は信頼できる。スカートは嫌だろうと訊かれたが、着たい服を選んでいる訳ではない。
「重要なのは好き嫌いではありません。常に有事を想定して備えることです」
動きづらいが仕込みようはある。靴の踵を細工して、スカートで隠れる太腿に革帯を固定した辺りで「何しに行くつもりだ」と呆れられた。
彼は壁を見ていた。紳士的である。
「……俺だって、暴漢のひとりやふたり伸せるぞ」
「そういう時は逃げましょう。マキさんのひとりやふたり抱えられます」
楽団の本拠地は、優れた木材に惹かれた楽器職人が集う、音楽の街だった。
寒さはあるが北ほどではない。マキさん曰く雪も少なく、氷点下の気候はまれだという。友人の知識の底知れなさを垣間見ながら工房が点在する街並みを散策した。聞こえる訛りやすれ違う人を見る限り、観光地としても栄えている。
想定外があったとすれば、時期歌姫「イズミ」の名と顔が予想以上に売れていたこと。
「マキさん、屋根歩いてもいいですか。責任もって運びますから……」
「……そこを道と看做したくないし俺は絶対に運ばれたくない」
同じ顔の兄が生活する町だ。気味悪い視線を避けるうち外れまで来てしまった。
街中はまだいい。開演が近づき劇場に向えば兄を知る人間は増える――市民への擬態は現状で最適だ。顔布は不審。裏口から入れるよとのご厚意を断ったのは失敗だった。道端にいる花売りの女性なんて今も話し掛けようと此方を窺っている。もうおしまいだ。
途方に暮れるうち、マキさんが私を背中に隠した。要警戒していた花売りの女性から白い花を一輪買い求め、私を振り向く。
「相良。手土産に、花でも添えたらいいんじゃないか」
「……あの、マキさんさすがに厳しい」
「俺の後ろにいれば大丈夫だ」それで済むなら諜報活動は苦労しない。
ばちんと目が合った。冷や汗が吹きだす――が、様子がおかしい。
女性は私を見ているのに「見えていない」。
まるで、別人を認識しているような応対。
隅に避けられていた素朴な花束を買って仕舞い、足早に離れた。
息ついた途端なにか髪に差し込まれる。強い花の香りがして、彼が微笑んだ。
「手品だ。隠しておくから心配いらない」
時おり、彼は本物の魔法を使えるのではないかと考える。
彼の「手品」がどんな仕掛けか解らないので、服を掴み彼の背中にくっ付いて歩いた。あちらが身体接触を負担に感じない人柄で命拾いした。動き辛かろうと懸念したが、彼が他人と歩き慣れている事を思い出して心中で拝む。ありがたい。
劇場に集まる顔触れには、貴族とみえる面々も多い。母の支援者が多種多様なのはこういう縁かと納得する。その間もマキさんの仕掛けは有効なようで、問題なく観覧手続きを済ませて観客席に落ち着けた。
「劇場に来た事は無いのか」
道中での観察が過ぎたか、マキさんに訝しまれた。
追跡過程での入場や侵入経験はあるけれど、彼の質問は娯楽目的でという意図だろう。
「北の街は劇場もありませんでしたから。酒場での余興演奏くらいでしょうか」
「……意外だった。うるさい場所は苦手かと思っていたから」
「賭場と酒場は友人付き合いもありますし、噂が集まるので先々で通います。花街もそう、……どうも仕事ばかりに聞こえますけれど、人並みに娯楽として嗜みますよ」
「……その友人、に……酔いを口実に絡まれたり、触られたりしていないか」
「私以上に身体接触の嫌いな医務官ひとりと、男娼に入れ込んでいる戦闘員がひとりになります。良き友人です」
医務官――ヒサメ殿に関しては私の性別を黙ってくれる主治医でもある。毒も作れて拷問も得意。仕事をご一緒するなら彼がいい。思考が合って快適なのだけれど如何せんアザミ殿が泣くし、泣きしなの台詞が「お前ら人の心ある?」なのでつまりそういうことだ。
最近静かなので、そろそろツケを溜めたアザミ殿から金を無心される頃かもしれない。何を対価にしようか考えていたところ、マキさんが躊躇いがちに問い掛けた。
「……音楽を、避けていたんじゃないのか」
「不思議と、積極的に触る気は起きませんでした」
音楽漬けの環境で育っても、そんなものかもしれない。
会場が比較的小規模なのは、観客全員に十分な音を届ける為だろう。切符を頂いていなければ聴けなかったかもしれない。
公演は一日に一幕きり。歌劇仕立ての「物語」だと母から聞いた。劇場の明かりが消え、楽器の演奏が重なりはじめる。譜面を眺めるだけでは解らなかった。こういう風に聴こえるんだなと、一歩引いた感想が零れた。
――聴き違えるはずもない歌声が響く。
燕尾服をまとって、光の中に、兄がいた。
腑に落ちた。音律を掛け合わせる彼らを見て、胸のつかえが取れた気がした。
彼らはいち楽団で協力して舞台を作る。調和を重んじ、互いを想いあって談笑するみたいに物語を紡いでいく。当たり前のことだ――そして私には、難しい。
兄にとっては呼吸するくらい自然でも、私には困難なことだった。私達に限った話ではない。そういうものは誰にでも、どこにでもある。
兄が私の代わりに、私より遥かに上等に夢を叶えてくれた。母の夢であり、幼い頃の無知な私が分不相応に望んでいた、綺麗な夢。
母と、母の愛した男性との子である兄が、光と称賛を浴びて夢の舞台に立っている。
それは必然のようであり、何もかも、御伽噺のような奇跡に思えた。
