2月13日
16:00 北地区往来
「きょう、すばるの誕生日だ。十三日……」
風見の口からそのような呻きが漏れたのは、二月十三日午後四時。高校からの帰路、いつも氷崎と別れていた交差点から数歩進んだあとだった。
風見に続いて立ち止まった和泉が、目を丸くする。
「えっうそ、学校でさっき、普通にばいばいしちゃいましたよ!?」
「毎年忘れんだよなー……や、すばるも『むしろ忘れててくれてたほうがいいよ』とか言うんだけどな?」
「よくないですよ……!!」
「だよなー」
しかし当の主役は、二月の後半に大学の二次試験を控えている。受験勉強も追い込みの時期であり、今から呼び出すこともはばかられた。そもそものところ氷崎は現在、大学受験希望者を対象とした放課後課外に出席しているはずである。
往来での立ち話は諦めの方向で固まってしまう。しょんぼり項垂れた和泉に、風見のほうも珍しく浮かない表情で頬をかき、考え込んだ。
「あんましすばるんち、そーゆーの祝う家じゃねーっぽいし、……なんかこう、一回くらいちゃんとケーキでも用意してやりてーんだけど、受験もあれだし来年のがいいかもな」
「確かに、邪魔になっちゃだめですけど……」
「まあ、メッセージでも送っとくっきゃねーか」
風見が慣れた手つきで端末のロックを解除し、メッセージ作成画面で指を止める。文面に悩んでいるというよりは、――本当にこれで済ませていいものかと。そういう類の躊躇だ。
迷いに揺れる風見の視線は、車道を挟んだ往来の向こうに、見慣れた人影をみつけた。
16:15 北地区往来→喫茶店
「サプライズというものは、お相手が油断したところにうまく嵌ってこそ、楽しいお顔が拝めるんですよ」
喫茶店に勤めるアルバイト青年、製菓担当の雨屋は、ひどく軽い調子で、誕生日祝いを明日にずらす提案をした。ついでに、ケーキ製作も手伝わせてほしい、とまで。
雨屋の提げていた大量のレジ袋を一つずつ肩代わりしながら、ふたりは顔を見合わせる。表情は先程より明るいものの、手放しに喜んでいる顔ではない。
「マジな話いいの、雨ちゃん? つか、店長さんにどやされねぇ?」
「店長を説得するのが私のお仕事ですから、御二方の心配するところではありませんよ」
店の作業場を貸す約束は、雨屋の笑顔同様ふわふわした代物だった。当の雨屋も「任せてください」と笑った矢先に何も無い場所で躓くものだから、空気はまるで締まらない。
喫茶店にいた客は、楽しげに談笑する一組のみで、買出しから帰還した三人を気に留める様子もない。カウンターに立つ雪平ひとりが、出発よりも人数の増えた様子を不可解そうに見やった。
二人に任せていたレジ袋を預かり店奥へ消えた雨屋に、残された風見と和泉は、手近なテーブル席へと身を寄せる。
「そりゃ雨ちゃんいるし、作んのもおもしろそーだけど……最悪、ここひと席貸してくれりゃそれでいーよな? イズミちゃん。ケーキ買ってくりゃいいし」
「そうですね。……そうだ、氷崎先輩の好きなケーキって何だろ。風見さん、知ってますか?」
「あー、すばる甘いのそこまで食わねーし、チーズケーキならいいんじゃね?」
「……それはどういう話だ、雨屋」
雪平の声が尖った。咳払いのあとは平静をつとめているためか、声がやや低い。
「……一体なに考えてる。だいたいお前いま、」
「そんな、私が悪巧みしてるみたいな反応なさらなくても……店長のご心配は承知しております。杞憂ですよ」
「…………そうじゃなくてな、」
「彼らのお顔を見ても、お心変わりはされませんか?」
16:40 喫茶店 厨房
「と、いうわけで。了解をいただいて参りました」
「店長さんがすげー溜息ついてっけど、雨ちゃん」
雨屋が二人にエプロンを渡し、着替えを促す。髪は結び、手洗いと衛生管理は徹底だ。
喫茶店でも――というより雨屋個人の趣味として、明日の二月十四日は、バレンタインにかこつけてお菓子を配るつもりだったらしい。これからその仕込みなのだと、先のレジ袋から作業台へ楽しげに材料を並べていく。
「俺たち、お仕事の邪魔しちゃいませんか?」
「お心遣いは、気持ちだけ頂戴致します。もののついで、というお言葉がございますよ」
どんなケーキを作るつもりか、尋ねる雨屋の背後。厨房に顔を覗かせた雪平が、疲れの滲む無表情のまま呟いた。
「……お前ら、しっかり頭で考えて作業しろよ。あんまり意見が無いようだと、突拍子もないことやらかし始めるぞ」
「…店長は随分と、人聞きの悪いことを仰る……」
