情報屋さんと良き隣人

 裏街は『食』に縁が薄い。
 食事の機会の意味でも、食文化の意味でも。人肉食は裏街のみで流通のある例外だが一般的な『食』というより悪食嗜好の煮凝にこごりに近いため除外。
 そもそも鬼というのが、人間に比べたら飲まず食わずで生きていられる低燃費体だ。カロリー不足や栄養失調を己の呪力で補填ほてんしているとも言う。最低限の水の摂取をのぞけばバケモノの生存条件に摂食面での制約はなく、だからこそ自給自足も食料確保も困難な裏街に多くの鬼が暮らしていられる。

 そんな裏街で喫茶店を営む鬼というのは、言うまでもなく少数派だ。
「ツクモさん」
 薄暗い店内を、大小さまざま吊るされたランプの暖色が照らしている。
 来客に気づいた店主が、カウンター内で作業の手を止め「いらっしゃい」と笑顔を見せた。額に一本角を生やした彼女は、黒服とエプロンをひるがえし調理場へと走っていく。
「すぐできるから待ってね。座ってて!」
「大丈夫です、急がないでください」
 情報屋の少年が、いつも座っているカウンター席に登る。廃材を寄せ集め、つぎはぎの修繕を繰り返しているために椅子もテーブルも規格がバラバラなこの店で、小柄な少年がもっとも座りやすい椅子だ。
 喫茶店はすいているが、いつ来ても数人の客がいる。
 仕入れの関係で提供できる商品がなくとも、場所代だと言って金を置いていく常連も多いと聞いたーー食事を必要としない鬼の身でも、人の身で楽しんでいたものと同じ嗜好品に惹かれる鬼は決して少なくない。また落ち着いて語らえる場という意味でも貴重な地下の社交場は、この場所を惜しむ多くの鬼によって密やかに支えられている。
「はーい、みそら。ミルクだよ」
 大きめの茶碗につがれた、人肌温度の牛乳が配膳された。
 情報屋の肩から降りた相棒猫は、カウンターに座ってぴちゃぴちゃとミルクを舐め始める。
「ツヅキくんも何か飲んで。実はね、今日はココアがあって」
「いいえ。みそらさんに食べさせてもらってるので十分です」
「遠慮しないの。この店がやってけるのはツヅキくんのおかげなんですよ」
 少年は、この店の仕入れ先ーー表の街の協力者――との発注等のやり取りのため、店主のツクモに鳥を貸している。相棒猫みそらに定期的な食事を保証する契約で始まった協力関係だが、双方とも身の上話ができる程度には打ち解けていた。
「どうぞ。召しあがれ」
 重たい陶器のマグカップが暖かい湯気を吐く。
 甘い匂いは、少年の食欲を心地良くくすぐった。
「あまくておいしいです」
 少年の頬が年相応にゆるみ、ツクモも嬉しそうに微笑む。
「味覚の残ってるひとに褒めてもらえて嬉しい。ありがとうね」
「なんだあヒトを舌バカみてえに」
 大柄の鬼が隣の席にどっかり腰掛け、少年の肩がすくんだ。
 煙草の匂いに嫌な顔する相棒猫を遠ざけてやりながら、少年は恐る恐る店主を見やる。彼女は気安い呆れを隠しておらず、この赤鬼ーー髪の毛から瞳の色から爪の先まで赤一色だーーも、少年同様に店の顧客なのだと察した。
「おっしゃる通り、にっがいタバコしか分かんないあなたはお呼びじゃないですー」
「悲しいねェ、せっかく新しい客つれてきてやったのに。帰るかエリー」
「ひとりで帰れよ。俺の就職祝いだろ」
 また知らない顔が増えた。
 両脇の席を大柄な鬼に挟まれ、頭上で言い争いまで始まるものだから少年は今すぐ立ち去りたかった。けれどみそらはまだ食事中で、手の中のココアも残ったまま。
「おいおい何だァ、財布なしで飲み食いする気か一文無し」
「あるよ。物入りだろうからって先生が都合してくれた分が」
「……高利貸しの間違いじゃねェといいな」
「お前は先生のこと疑いすぎだ」
「子供だまくらかしてる時点で良い感情ねぇよ」
「俺はガキじゃない」
「憧れんのは構わねぇよ。手放しで信頼すんなって話がそんなに飲み込めねぇか? 青いねぇ」
 カカカと笑う赤鬼に、エリーと呼ばれる男が椅子を蹴倒し席を立つ。
 間に挟まれた少年は、とうとう肩を縮めて俯くことしかできなくなって。

「他のお客さんに迷惑かけたら即退店。帰れ」
 無慈悲な宣告とともに、ふたりの姿はツクモの異能でかき消えた。

「怖がらせてごめんね。ココアだめになってない?」
「……えっと、……あのひとたち、どこに?」
「さあねえ。なるべく痛いところに行ってもらったけど」
「ひええ……」
『甘い甘い。遅いくらいだよ』
「ごめんねーみそら。もう一杯おいしいの作るから許して」

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「あっははは、折れたか。先生の修行とやらも役に立たんなァ」
「……ざっけんな、あの高度は冗談になんねぇだろ馬鹿野郎…………」
「先が思いやられるねェ。ほれお子様。大人がおんぶしてやろうなあ」
「いで、っ痛たたた!? やめろバカ響く!!」
「ちなみに、隣に座ってた猫飼いも敵に回すと痛い四天王だからな。顔見たか?」
「四天王どんだけ居んだよテキトーだな……あのちっこいのが? 戦闘向きではないだろ」
「鳥の群勢に身体の柔らかいとこ全部ついばまれて下水に浮かぶ」
「…………ウワ」
「鬼は見た目じゃねェのよ」