「次の人、どうぞー」
裏街では比較的上等な廃墟の一フロアに、少年の声が響く。
廊下で列をなすガタイのいい鬼がまた一人、少年と飼い猫の待つ小部屋の中に通された。
裏街の鬼は就労者が少なくない(勤務態度不問)。
鬼は飢餓や疫病知らずで医者も要らない。生命維持費の為というより、文化活動費の捻出やコミュニティへの参加に重心が置かれた就労動機だ。溜め込めばカモにされるだけのクソ治安だ、宵越しの金は持たない程度で丁度いい。
ただしそれは「鬼に限った」話。
「えっウソ!! ねこちゃん!? ねこちゃんが俺を嗅いでくれるの!!?」
『うるさ……』
「検査を先におねがいします! ね!!」
扶養家族のいる少年にとって、自警団から貰える仕事は有難い臨時収入源である。
「教えてくれれば缶詰め持ってきたのに」
「お気持ちだけでうれしいですから」
「お気持ちじゃねこちゃんのお腹は膨らまないだろ。どこ住みだ。届けに行くから」
爬虫類に似たギョロリとした目に射抜かれ、少年が半歩退く。
今日だけで四人目の申し出を受け取っていいものか、自警団の協力者(兼監視役)をちらと見――「早くしろ、時間が惜しい」「すみません」ピリピリするのは致し方ない。
どうも現在、表で発生した連続暴行事件の犯人が鬼ではないかと疑われている、らしい。
真偽はともあれ由々しき事態に、まずは裏街の潔白を確かめるため体臭検査が行われている。対象は事件当日、裏街浅層付近に出入りしたものたち。更に犯人が男だという情報から男性体の鬼に的を絞り、粛々と進んだ検査はようやく半分を切ったところだ。
『大丈夫、ちゃあんとドブ臭いよ。女の子の匂いなんか全然しない』
「……も、問題ないそうです。お帰りになって大丈夫ですよ」
「ねこちゃんアリガト。お礼におやつもってくからね」
『こういうサービス業で生計立つんじゃないかなぁ。ねぇご主人』
「みそらさん……」
男を帰し、気流操作の異能持ちが部屋の空気を入れ替える。
検査官の嗅覚を鈍らせないための小休憩の合間、換気の片手間に、自警団の鬼が事件の概要を明かした。
「特筆して異能の痕跡がある訳じゃあない。現場は裏街付近とはいえスナック街の路地、被害者を人目のない場所に連れ込み暴行をはたらいた。人間でも……いや。人間の方が容易い犯行だ」
「え……じゃあ、なんでこんなことを?」
「こちらに落ち度がないことを証明する材料が欲しい。一つでも多く。……無実の証明をしろだとは理不尽な要求だ」
少年の疑問が腑に落ちた。
裏街から鬼が這い出れば鬼狩りが飛んでくる。表との境界に備えられた警報機はそのために置いてあるのだから。鬼にわかることが、表の街の、少年よりも頭のいい大人たちに分からないわけがない。
「なら、鬼の関与って話はどこから」
「被害者がな。自分を襲った男には角があったと言ったそうだ」
「そうなんですか、……――?」
ふと、そこで立ち止まる。
なぜ裏街に、『表』の事案の――それも捜査関係者しか知らないような情報が流れているのか。
それに「無実の証明をしろ」だなんて。まるで、鬼の弁明を聞いてくれる誰かがいるみたいな言い方だ。
悪いことはみんな鬼のせい。裏街のせい。
自分の欲望を暴走させた鬼が悪い。鬼の存在を許している裏街が悪い。穢れた欲望が呪具に加工され流通することで汚染が広がり、清浄な人間が道を踏み外す。鬼が生きているせいで、裏街が存在しているせいで犯罪行為が身近になり、加害のハードルが下がり、表の治安にまで悪影響をもたらしているーー裏街廃絶派の演説は聞き飽きている。
過激な廃絶派ではなくとも、鬼を許容できるかと問われれば難しい顔をするのが大衆的な反応だ。
不都合で陰惨なことはみんな鬼に被せて、裏街ごと処分しろと言われる方が余程しっくりくる。
だから少年は長考した。『それ』を自警団に伝えたひとは何者なのだろうと。
「……それと、僕も男なんですけど」
「自信を持て。年齢も体格も何もかも合わん」
「あ、ありがとうございます……?」
裏街が消極的にでも存在を許されていることと、繋がりがあるようなーー
「君のねこさえ良ければ、次の鬼を呼んでもかまわないか」
「あ、えっと。……みそらさん、つらくない?」
『うーん、まあ。マメに休憩ちょうだいね』
「わかった。……急いでるところすみませんが、休憩を増やしてほしいです。呪力の消耗がある異能ではないですけど、彼女の嗅覚は鋭いぶん負荷も大きいので」
「、……今でもかなり優しくしているんだぞ情報屋」
「……それでも、お願いしますと言わないと。みんなの言葉がわかるのは僕だけだから」
そうでなければ顔向けできない。
鬼になった僕に居場所をくれて、繋がりをくれた。家族のようなみんなに。
そんな決意を新たにするうち、頭によぎった思いつきは、すっかり忘れてしまっていた。
情報屋さんのアルバイト
与太文