情報屋さんとお医者さん

 北の裏街には「狭間通り」という呼称がある。鬼が蔓延はびこり社会を形成つくり、軽重犯罪をはぐくむ温床として発展が認められた不名誉の証。
『やめときなって、ご主人』
「だってあの人、きちんとしてそうに見えるよ。迷ってるなら危ない」
『あのねえ。ノホホンなご主人はレアケースなんだって……ああもう聞いちゃいない』
 軽い度胸試しの上層から鬼でも立入りが限られる最下層までその根は深いが、表の人間からすれば深度に関わらず「裏街」であるしその認識は間違っていない。浅かろうと運が悪けりゃかどわかされるし物は盗られる、たまにポロッと命が消える。見ちゃまずいものを見たくないなら入らないのが一番いい。裏街の内情とか無縁でいたほうが嬉しい知識。

「あの……あなた、人間さんですよね? 表に戻れる道、教えます」
 つまるところ、裏街ここを歩く人間にマトモなのはいない。

「迷ったわけでは、ないと」
「はい。友人の仕事を手伝いに」
 柔和に答えた眼鏡の彼は、少年よりも大人びた出で立ちをしている。
 推定迷子は少年の早とちりに相違なかった。少年に追いつき、肩に登った三毛猫が『そらみろ』と鳴く。警鐘を鳴らす相棒とは対照に、少年はめずらかな出会いにそわそわしていて、興味津々に「仕事」とやらを尋ねはじめた。
 彼が手荷物を持ち上げて見せた。厚みのある黒い鞄だ。
「怪我してくるんですよ、その。表の病院には行けない人間で」
「と、いうと……お手伝いって、治療を?」
 少年は驚いた。なにしろ鬼というのは頑丈頑健が取り柄だ。「唾つけときゃ治る」がまかり通り、大怪我といえば鬼狩りに遭って断頭間際みたいな両極端ゆえ医者要らず。解体屋ばかりが連日の盛況である。
 黒い短髪に眼鏡、物腰柔らかな口ぶり。ギラギラもオラオラもしていない清潔感ある服装は少年のイメージする「お医者さん」と合致した。だから少年は安直に警戒を解いたし、穏やかな彼に対して親しみを覚えている。
「すごいですね、お医者さんなんて。裏街で初めて見ました」
「大袈裟ですよ。洗って縫うくらいですから、ただの一般人と変わりません」
「そうですかね……? あの。一人は危ないですから、裏街のお友達と歩いたほうがいいですよ。……僕なんて角があっても狙われるので…………」
 何となく自嘲に落ち込んでから、少年がハッと気付いて問い掛けた。
「人間以外は。鳥さんや猫さんも治せますか?」
「すみません、獣医は専門外で」
「そ、そうですよね……ありがとうございます」
『もういいでしょ、ご主人!』
 大音量で急かされて咄嗟に耳をふさぐ。彼は「はは」と軽く笑った。
 闇医者とはそこで別れ、少年はたくさん手を振って彼を見送った。


 裏町を悠々と歩む足音は、放棄されて久しい診療所へと向かう。
 錆びた蝶番がぎいと鳴る。世辞にも清潔とは遠い屋内を、彼の持つ端末が照らした。さして迷わず目当ての扉を開ける。

 蝋燭の明かりが漏れていた。
 片手間に端末の光を消し、まだ暗がりに目の慣れない彼が先客に話し掛ける。「お疲れ」と。顔を確かめることもしない。
 生臭いにおいと、袋詰めの『廃棄物』が増えているから、誰かは分かる。
「そうもいかないとは思うけど、廃棄証拠品はなるべくいっぺんに出してね。……あ、今日はいいよ。処理場行くから混ぜる」
 たちこめる死臭も気にせず、ぼろの机に鞄を載せる。
 一般市民らしい装いの懐から――護身用の改造拳銃を取り出し、日課の手入れをはじめた。
「そういえば……来る途中、動物会話の情報屋に声かけられたよ。殺した方がよかった?」

 殺し屋『死神』の調査結果を敵対相手に提供している厄介者。
 アレで動きづらくなっていないか。警戒されずに会えそうだし、此方で対処しようかと。業務に支障が出ているだろう本人に、率直な感想を聞いてみた。

「そっか。いいよ、分かった」