善悪の帳尻合わせ

物語の中で大きく間違えたキャラクターに未来を与えてもいいのだろうか
誰も何も気にしないしどうだっていいこと、好きにしたらいい は前提として 現実わるいことしたら地獄行きで善人が天国なんて社会ではないわけで、報いのないまま最後まで悪辣で幸福な人も、なんの罪も犯してないのに苦しみばかりな人もいる せめて創作物でくらい振る舞いの善悪と災難および死にかたの帳尻を合わせたいです、の気持ちがあって作ってきた理(つくりもの)の中にいるひとを例外的に扱うのはえこひいきではないのか 自分の思い入れと感情が裁定を甘くしているのではないのか でも彼(彼女)が周囲の幸福を奪取して占有するために悪行を成してたかと聞かれると憐憫抜きの事実として否で、捉え方の差はあれど人間らしい幸福や平穏とは縁のないまま最後まで使い潰されただけ 全編通して都合よく舞台を転がし続ける仕掛け役として働いてもらったと思っている

労働者には正当な報酬があるべきではないか しかし私がそのように許したいだけではないのか 情を挟んだ判決は公正ではないのではないか かわいそうだと思っているだけでは ハッピーエンド主義者が善悪のさかいなく単純明快大団円を求めているだけではないのか では当該人物があのままでよしとするか かかえた業がまねいた結末は処刑しかなかったとは思っています