縮こまる怪物②

 少女の言う返却物は「恩返し」の意図だった。――昔、少女に与えた知識に見返りの「出世払い」を求めるかもしれないと。匂わせたのは確かに俺だ。
 押し黙るうち、少女が切り出した。
「マキさんは沢山の知識を与えてくださいました。見聞を、知恵を、私を形作る教養の多くを。……お陰で今がありますから、色々と考えてはみたのですが」
「……が、?」
「……私は貴方をかすみ食って生きてる得体の知れない人だと思っています。趣味も職も分からない、神出鬼没で現住所不明。金も食にも興味を示さず女は掃いて捨てるほどいる。分からないばかりでは無難な選択も難しく、堕胎薬も検討したのですが」
「合意の上だし捨ててな……待ってくれその話どこから」
「いつも違う香水纏わせてれば察しはつきますし、重ねて血も匂うので処女信仰か倒錯性癖どちらに賭けようか迷っています」
「それだけは違う。訳は言えないが絶対に違う。信じてくれ」
「言い訳する相手は肉体関係のある女性がたでしょう。健闘を祈ります」
 だから、前金ではありませんが――と。
 少女はそう言い、小ぶりの瓶に込められたすみれの砂糖漬けを置いた。
「貴方の関心がまったく不明なので他力本願でお頼み申し上げます。教えてください、欲しいもの」
「……急に言われても思い付かない」
「急いではおりません。分かった時に、話せるぶんだけでも」
 瓶に触れ、覗いた。菫の造形を保ちつつ凍りついた見目だ。
 鮮やかな紫の花弁に、砂糖粒の霜がおりている。花卉かき栽培で栄える街で買い求めた食用花らしく、幾つかの地方に目星がついた。
「マキさんは妙に昔の話ばかりなさるので、こういったものも良いかと思い」
「……ああ、調理法は確かに教えた。……すみれの話はしていたか?」
「あの社への道に咲いておりました縁です。覚えておられるか分かりませんが」
 少女が居住まいを正して頭を下げた。
「頂いた教養を元手に、多くを身に付けて参りました。きっとお役に立てると思います。身辺調査に浮気の裏取り、果てには暗殺依頼まで、如何様にも叶えてご覧に入れましょう」
 ――そういうことで、これからも。御用の際にはご依頼を。
 自負心を以て請負う表情かおは凛として、触れがたく清廉な強さに満ちている。

 綺麗だと思った。
 確固たる誇りを持ち、選択と努力を重ねて自分の足で立っている。不思議と少女の母親を思い出した。歌と舞台を理不尽に奪われ、村へと追われても誇りを持ち続けた精神性が、よく似ていたからだろう。己の発言など侮辱であったと恥じていた。

――そう、俺は。
 消えてなどいない懸案事項を「自分の問題ですから」と仕舞い込み、決して開示しなかった彼女の顔を、この時は忘れてしまっていた。

 ■

 少女は俺に寝台を勧め、部屋の隅に腰を下ろした。刀を手に取り膝を抱えて体勢を整えながら、好きな時間に出て行けという趣旨のことを言った。
「この夜更けに放り出しませんよ。物取りが入れば制圧します、お気になさらず」
 刀を抱きしめ目を閉じた。三秒とたたず寝息が聞こえた。

 寝顔はあどけなかった。凛とした印象が薄れ、懐かしい面影が過ぎる。
 すみれの花を選んだ理由。子どもの手遊びみたいに明かされた注釈を思い出す。
『菫の花言葉は『小さな幸せ』です。貴方の毎日が、幸福に彩られたものであるように』

 花言葉というのは大抵、ひとつの花に対して複数存在する。
 菫のそれは――誠実、謙虚、貞節。そのほかにも、確か。
――『白昼夢』
――『貴方のことで頭がいっぱい』

「……醒めていながら夢に見て、」
 頭の中が、一杯に。
 それは。そんなもの――まるで、