演技と周囲と彼女の答え②

 北に向かう道中で仕事着に着替え、意識を「善良な町娘」から「琥珀」に切り替える。
 何度か胃の中身を吐いて、腿に刃物を突き立てた痛みで正気に戻し、調ととのえた。
 最近ことに演技酔いがきつい。日増しに戻りづらくなってきている。同一の人格を長期間装い続ける事による避け得ない浸食に加え、用意した人格が良くなかった。
――私の装う『善良な町娘』は、過去の私の模倣に近い。
 理不尽に暴かれ、蹂躙されるだけの無力な子ども。思い出したくもない当時に戻るような錯覚が原因で不調をきたしている自覚はあった。

「薬はもう増やせないよ。原因どうにかして来て」
 便利屋の医局にて、主治医兼薬師からの宣告は無情だった。
 問診と一連の診察を終えて「吐いてる」「不眠」「神経症」と切り捨てられる。腿の刺傷を処置し直しながら「自傷した?」と聞かれた。必要に応じてやっただけなので違う。
 頂いた睡眠薬があまり効かなかった旨は「参考にしないでおくね」と爽やかに笑われた。
「自分の薬毒耐性は分かってるよね。もっと強い睡眠薬を下さいって、もうほぼ毒だよ。いくら琥珀相手でも出したくない。原因にはいつ対処できそう?」
「……あと一回、遅くとも二回でケジメをつけます。期間は解りませんが、長引かせる気はありません」
「そう。気をつけて」
 意見を聞かれていた毒物の試飲報告を渡し、注文していた薬を受け取る。
 冬は鬼の生存にも厳しい季節なので討伐は減る。医局にも余裕があるらしい。ヒサメ殿がぼやくに「毒草が手に入りづらくて困るよね」と、悩みに共感はしないが理解はできる。
「ご要望の植物を見つけたらお届けしますか?」
「助かる。欲しいもの書き出すからお願いしていい? 市場で見付けて無理がなければ、でいいよ」
「承りました。希少な品があれば相場も併記して頂きたく」
 ヒサメ殿は神経症の原因を聞かない。仮に私が話したとて軽い相槌で終わるだろう。
 相互理解は無理だということを承知している。さっぱりした友人だ。
「……睡眠薬、前と同じ調剤でいいので頂けませんか」
「服用間隔は必ず空けてね」
 渡された包みは、私の後方から伸びてきた手に横取りされた。

「琥珀、何これ。君に処方された薬?」
「……ただの睡眠薬です」
「ヒサメ、『睡眠薬』の内容物」
「平たく言って毒です」
「……変態も案外役に立たねえな」

 師匠に引きずられ首が締まる。師匠と友人は「借りる」「どうぞ」と一瞬で合意したし、友人は至極にこやかに私を売った。医局で暴れられたら困るからだろう。
 降雪の続く往来は人がいない。白銀の雪景色に人間を引きずる跡が続いていく。
「当ててやろうか。今日は兄貴と会ってない」
「はい? ……そうですけど、何で」
「分かんない? まあ自分じゃ気付いてないみたいだしね。優しくて聡明なお師匠様がわざわざ指摘してやろうか」
 過ぎ行く景色から見るに、師匠は私の単身住居へ向かっている。
「最近の君の顔色、虐待されてた頃とそっくりな青ざめ方してるから。あの兄貴に会ったあとなんか、特に」
 首巻きの布がきつく引かれた。気道が締まってせる。
 息継ぎに吸った大気の冷たさが喉を刺し貫く。
「……それは私が兄を騙しているからです。私が知られたくない一心で、勝手に無理をしています。人格設定をしくじって演技酔いがひどいだけ。自業自得です」
「会いたくないって言ってんのに約束破って勝手に引き合わせやがったのあっちでしょ? 慰謝料ならまだしも何の埋め合わせもなしでしわ寄せだけ押し付けられてるとかお前どんだけ舐められてんの」
「……座長殿はきっと約束を破っていません。兄が勘づいて探し当てたんです。……昔から、不思議とそういう所があったので」
「じゃあ捨てれば」
 言いながら、私の家の施錠を壊す。薄暗い部屋に放り込まれた。
 寝台の角に頭を打った。起き上がろうとして、顔のすぐ横を蹴られる。
「君の名前ごと。実の兄貴とクソみたいな人生、みんな捨てれば解決するんじゃないの」

 師匠の言葉を聞きたくなかった。
 耳を塞ごうとした反射を読まれて、手首が押さえ付けられる。
「おいクソ弟子。不肖ふしょうの弟子。僕の言葉を聞け」
「……っやめ、」
「君の名前は琥珀だ。『琥珀』の人生は、僕が拾って、僕が名付けたその瞬間から始まった。それ以外の『名前』に何をわずらわされることがある」
 それが一番楽なのは分かっている。過去に蓋して見ないように、触らなければ平静でいられる。今までずっとそうしてきたから。
 状況が変わって、過去を直視させられて、変わらなければと思っていた。自分の頭で考えて選択しなければともがいてきた。師匠もそれを静観してくれていたはずだ。
――見限られた。お前には無理だと宣告されている。
 心臓が握り潰される。歯を食いしばった。単純に筋力差で勝てない手首の拘束が、いつもより重苦しくて痛い。
「どうせろくでもない兄貴だろ。最後の情けに始末してやるくらいすれば」
 頭突きは避けられたが、振り払うには十分だ。
 力任せに突き飛ばし、目に付いた椅子を投げる。間合いを探しながら舌打ちが聞こえた。
「師匠に歯向かう気かよ。クソ弟子の分際で」
「……ええ、師匠。言って良い冗談と悪い冗談があることくらい、貴方はご存知と思っていましたが。私の買い被りだったのでしょうか」
「半端なんだよねお前。中途半端に人間ごっこ。家族ごっこ。半端だから全部駄目。仕事に影響出さないなら文句ないだろとか思ってんだろうけどその体調のどこが大丈夫なわけ? ていうか僕、義理立てすんなって言ったよね。なんで半端に便利屋に居んの」
 中途半端――劇場でも言われた台詞に身体が固まる。
 反論できない。声が詰まった。師匠が薄笑いを浮かべながら、私に刀を握らせる。
「君が一番欲しい言葉をあげるよ。……僕の命令だ。殺せ」
 師匠の言葉には逆らえない。
 私はどこまでもこの人の下僕の「琥珀」で――なのに、
「……私は。教えを乞いこそすれ、貴方に隷属した覚えは無い」
 兄を殺せと言われた途端、その首に刃を突きつけるのを躊躇わない私は、何だ。

 師匠の表情が抜け落ちていく。本気で怒らせたと肌で解る。
 それでも訂正する気は無い。徹底抗戦も辞さない程度に腹は据わっている。
「……いまお前なんつった」
「理の見えない言葉に傾ける耳は持ち合わせておりません。……御前失礼します。師匠」
「理が見えない? 見ようとしてないの間違いだろ。どう見たってお前の首絞めてんのはお前の兄貴だ。消耗はしても得るものは無い。んな重荷捨てろって話のどこがおかしい」
「……確かに兄は重いですよ。私はあの人に、ありったけのモノを預けましたから」
 幸せな思い出と、歌。奏者になるという淡い夢。幼いころに得た数々の言葉。
 手元に置いておきたくなかった、安全な場所に仕舞っておきたかった、壊れやすくて穢したくないもの全て預けた。
「兄から得るものはないと。師匠の言葉を万歩譲って肯定するとしても、家族を害してしまった私に矜恃は残りません。貴方の言葉には頷けない」

 やさしい人になりたかった。大事な人が、傷付かなくていい世界が欲しかった。
 だから私だけは、それをやってはいけない。

「――……んだよ、それ」
 うつむく師匠の表情は見えない。
 刺さる殺気で、修復出来ないところまで至ってしまったことは悟った。
「……血縁ごときがそんなに大事ならさっさと出て行け」
 譲れないものに抵触したのはお互い様だ。

「お前を破門する。便利屋は出禁だ。所属から名前も消すから仕事の受注は他所でやれ。二度と僕の前にそのつら見せるな」
「……師がそう仰るのなら出て行きましょう。ご指導も仕事も頂けないのなら、私が便利屋に居る意味はありません」
 師匠の発言が簡単に翻らないことは知っている。意志の強さも、有言実行なことも。
 職を探さねば。此処は引き払ってしまっていいだろう。とりあえずマキさんのお宅へお邪魔しながら求職活動させて貰えるだろうか。駄目でも放浪する程度の蓄えはあるが。
 荷は少ない。袋ひとつでまとめ終えた。
「さようなら。お元気で」
 身を立てる術は得た。全て、師匠の指導のお陰だ。
 荷をまとめる間も、防寒装備を整える間も師匠は動かなかった。私が居るうちなら苦情は受付けられるが、わざわざ師匠を待ってまで耳を傾ける気は無い。
 横を通ろうとして、首巻きの布が引っ張られた。

「……?」
 掴んでいるのは師匠だった。私の首巻きを掴む指を、戸惑い混じりに見つめている。
 師匠自身も行動の意図が解っていないような――それは私が聞きたいことだ。
 軽く振りほどく。簡単に離れた。
 もう妨げはなにもない。深く一礼し、これまで頂いたご指導に謝辞を述べた。
「新しい下仕え、早く見つかるといいですね」
 いい機会だ、もっと優秀なものをお探しになればいい。
 代わりどころか上位互換に成れる人材は、幾らでもいるのだから。