『責任とる覚悟決めた?』
獏から尋ねられた時点で、既に手遅れだったのだろう。
不死者から人間への干渉は禁じられている。その掟に忠実な獏が、彼女の傍にいる吸血鬼を止めなかった理由。獏が土地神を処分しに来ない理由。辻褄は合う。
彼女の薬毒耐性が優れているのも、怪我の治りが人より早く、痕も残らず治るのも。もしかすると戦闘能力にも恩恵があったのかもしれない。この真冬に一睡もせず何日も歩き通せる体力など、人の身では説明のつかない異常だった。
全て、彼女の身体が不死者の側に変質し始めているからだ。
「もう少し早く死ねていたら、苦しまずに済んだかもしれない」
彼女に影響したのは吸血鬼の呪力だ。回復力など折り紙つきだろう。遠回しに俺が刺されているのは解る。「長く生きるほど悲惨な末路を辿る」と言う土地神の言を一蹴出来れば良かったが、そこはかとなく心当たりがありすぎた。
過ぎた情念は呪いになる。怪物の思慕は人を歪める。解っていた。それなのに。
自覚した今でも、生きて欲しいと願わずにいられない。その感情が毒だとしても。
相良に繋がる縁は随分と数を減らした。苦慮する糸も多かった。土地神の力は弱い。縁が強いほど切るのにも時間がかかり、疲弊も見えたがやめる気配は無かった。
「……お前、消えるぞ」
「かまわない」
沢山の手のひらは蠢き続ける。手しかない身で感情表現のつもりなのか、暇な指を影絵でもするみたいにひらひら遊ばせてみせる。
「私は、私に信仰を捧げてくれた人間に味方する。私を存在せしめているのはこの子ひとり――だから、この糸を切る」
ぱきん、と。手強かった縁は、硝子が割れる音を断末魔に絶たれた。
ひと仕事を終えた手が、残る糸を手に取って難しく唸る。内の一本は俺の縁。
「あとは父親と、双子の兄を切ればおしまい。それと……ふふっ」
「……うるさい」
「きみの呪いは骨が折れそうだ。可愛いところがあるんだね」
「黙れ」
血縁を切ろうと試行錯誤を続けながら、土地神は俺に選択を投げかけた。
――彼女との縁を切るか、切らないか。
「切らないでくれ」
俺は選び、土地神の手は止まった。
許可を得て、朽ちかけた社に立ち入る。彼女に触れて確信を得た。
いま俺が離れたとしても、呪力で変質した彼女の身体は戻らない。中途半端に不死者にはみ出した人間として、自然に死ねるかも解らない身でさ迷うだけだろう。
新しく生まれる不死者を保護する。俺は不死者の職務を全うすべきだ――いや。
「……俺が、傍にいたい」
悔いても過去が変えられないなら、この選択を最善にしていく。
不死者として生きる時間は幸せだと、彼女に笑ってもらいたい。
土地神に縁切りの助力を申し出たが、魔物が神をどう助けるんだと笑われた。「この子を暖めてあげて」と響く声はからかい混じりだったが、相良の頬が冷たいのは事実だった。
毛布で彼女を包んだ上から抱き締めながら、土地神の奮戦を眺めた。
「……きみの女性関係もなかなか愛憎入り乱れて見事だけれど、切る?」
「、……まずは相良を頼む」
俺は彼女を人間社会から切り離す。彼女が愛し、大事にしてきた家族や恩人、友人、培ってきた全てを捨てさせ不死者として迎え入れる。吸血鬼として彼女に添う。
彼女を不死者に歪めた加害者は明確に俺だ。その事実は隠さない。時期を見て明かし、裁きは彼女に委ねればいい。
「感極まってるところ申し訳ないけれど、まだ不死者に預けきれる段階じゃあないよ。縁は不安定なものだし……未来に構えるより、今ある傷から治しなさい」
また縁が切れた。切るべき糸は残り一本。
彼女の近くにあった荷から、北の住まいに保管していた仕事道具や貴重品がのぞいていた。家を引き払ってきたのかも知れない。追放処分と無関係ではないだろう。
北に戻る気が無いのなら、もう、彼女の帰れる場所は俺のところだけだ。
相良が身じろぎ、暖を求めて防寒着の中に潜り込んでくる。抱き締める腕に力をこめた。
「夜も遅い、よければ泊まっていくといい。この子の恋路を覗きたいのは山々だけれど心配いらないよ。どうも余力は残らなそうだ」
茶化した声色に限界が見えた。土地神は消えかけている。
浮かんでいた手は、いつの間にか二つにまで減っていた。その輪郭も掠れてゆき、取り落とされた縁の糸は見えなくなる。
「……力は尽くしたが、双子の兄だけ断ちきれなかった。勝手に引き合うことは無くなったはずだけれど……本当に、すまない」
「いや、……いいんだ。感謝する」
「……どうか、幸せに。それだけが私の望みだ」
最後に残った手のひらが、彼女の喉へ優しく触れる。
「また歌えるようになるよと、この子に伝えて」
そう言って土地神は沈黙した。眠りなのか、消滅なのかは解らなかった。
