彼女の手紙には詳細な予定が記載されていた。必ず帰るとの念押しもあった。
だが、母親の墓参りは突拍子もなく見えた。彼女から聞いていた限り仕事のあった日程が旅程にすり代わっていて疑問も浮かび、その答えが「師匠から追放処分を受けました」と近況に添えられていたので頭を抱えた。大事は大事として取扱ってくれ。
彼女の旅はどこまで進んだだろう。手紙という連絡媒体が不安を煽った。
最低限の防寒着を掴んで飛び出し、転移術式を用いて彼女を探し回った。予定ではまだ村に向かう道程のはずだが姿は見当たらず、野営の痕跡も無い。異常だった。
北の街にも行ってみるか迷った。手紙を送った後に予定が変わったのかもしれない――念のため立ち寄った墓前に彼女の痕跡を見つけて、喜んでいいのか解らなかった。
到着が早まるにも限度がある。一睡もせず歩き通したとしか思えない。
彼女の足跡は村ではなく、森へ向かっていた。
行先の見当はつき、手っ取り早く転移した。
自分でない不死者の気配があるとも気付かずに。
「……そこで何をしている」
「縁切り。久々で不安だったけれど、思いのほか調子がいい」
社の入口は壊れていて、中が見えた。
彼女は社の中にいた。恐らく眠らされている。その周囲に沢山の白い手が浮かんで、彼女の身体に纏わりつく「糸」をほどいては切る。切った糸から消えてゆき、見える糸は次第に減っていく。
それが声の言う「縁」なのだろうと――主に呼び掛けた。
「この社に棲む土地神だな」
「いかにも。そういうきみも久しぶりだ、魔物くん」
この土地神が彼女に執着している想像は出来たはずだった。
彼女は幼い頃、社を歌の練習場として借りる際に「ご挨拶」と称して信仰を捧げていた――土地神はその信仰によって息を吹き返し、彼女を気に入り森の危険を遠ざけていた。
結局これと言葉を交わすことは無かったが。
彼女を奪う気かと身構え、何のつもりだと問い掛けた。
「この子を『薄く』してるだけだよ」
「……薄く?」
ぷつりと、また一本が切れた。
「この子を必要とする輩には代替案が見つかる。懸命に探すほど邪魔が入る。怨恨の矛先が、別のところへ逸れていく……徐々に幽霊みたく浮いていって、社会との繋がりが希薄になっていく。孤立といえば聞こえは悪い。この子にとっては解放だ」
止めることは出来た。だが俺は、見ていた。
沢山の手が、絡まった縁の糸をほどき切っていく。土地神は消えかけで力も無い。問答無用で消そうと思えば容易に叶う。それでも俺は止めなかった。
「この子は長く生きられない。末路もむごいものばかりだ。この縁は、人の世から齎されているね?」
「……死縁は勘づいていたが、由縁までは分からなかった」
「怨恨の糸。取り潰された貴族の残党が、この子を悪魔とにらんでた。……居着いた場所もまずい。彼らは社会に強い変革を齎すけれど、決して報われない。重罪人として名誉を汚されたまま死んでしまう」
魔物の吸血鬼に縁切りの力は無い。それをもどかしく感じた事があった。
死ぬことが分かるだけ。怨恨の由縁を探って断ち切ることはできない。兄を遠ざけることも難しい。その無力感があったから、土地神の言う「解放」を否定できなかった。
「かくれることも、死ぬことも。この子にとっては悪いことじゃあない。人の世で長く生きるほどに抱え込む巡りなんだ。色んな悪意の捌け口にされて、それを受け入れてしまう……長生きするほど悲惨なことになるよ」
「……お前はこの土地から離れられない。相良の信仰で目覚めていられるだけで、いつ消えるとも知れない身だろう」
「そうだとも。人の世との縁を切ることはできても、拠り所にはなってあげられない。けれど信頼できる宛てはあるよ。この子は素直だし呪力も強い。信仰も純粋だから、人間好きの神様連中なら悪いようにはしない」
手しか見えない神に、意地悪く笑われた気配がした。見透かされているのだと悟った。
そうだった。――信仰が絶えれば容易に消し飛ぶ消耗品にも関わらず、神というのは悪趣味な連中だ。得体が知れず、悪意のような善意を振りまく厄介な輩。食欲のみで動く人狼の方がまだ単純で可愛げがある。
「きみはどうして此処に来た? まさか人間への干渉がご法度だなんて言いにきた訳ではないね。北の土地守は獏のはずだし、それに――」
手のひとつが俺を指さし、一本の縁を手繰る。俺から彼女に繋がる糸。
「この子はとうに人間を外れている。きみの思慕によって」
俺は、気付きたくなかっただけだった。
