怪物が怪物たる由縁①

 吸血鬼に添う、不死の生き餌の成立条件。
 人間が「その身の全てを委譲する」と、吸血鬼に『許可』すること。

 彼女は条件を満たしてしまった。本来なら相応の手順を踏むはずのものが繋がった経緯はわからない。機序は不明でも、結果から逆算して起きた事象は「そう」としか言えなかった。そして現状、解明に割ける余力も無い。
 少なくとも確かなことは、――契約が成立している以上。彼女は本当に、心から俺を信頼してくれていたということだ。こんな形で理解したくはなかった。
 俺の血肉と怪物の性質、その全てが――相良を「餌」だと認識した。

 頭がくらりと揺れる。
 彼女の白い肌から立ちのぼる香りが。その身に秘められた血の気配が、ただれるように脳髄を溶かしていく。どんな甘露より芳醇で、あらゆる美酒と比べようもない陶酔が得られると本能が囁く。『食事』で味わう快楽を想像しただけで力が抜けて立てなくなる。
 暴力的なまでの吸血衝動に説明がつかないまま理性が霞む。最近血を飲んでいないからか、俺が彼女に並々ならぬ思慕を抱いているからか。解らない。確信は一つだけ。
――あれを飲んだら戻れなくなる。他の血がみな安酒としか感じられなくなる。
 彼女を傷付けたくない。人間として在りたい切望に――狂いそうなまでの恋情と、性欲、食欲。怪物としての本能がどれに影響されて暴れているのか分からない。もう区別できないほどい交ぜになって、目の前の人間を至上の美食としか認識できない。
 まるで飢えた野犬のように、唾液が溢れて止まらない。両手で押さえても指の間からぼたぼたと垂れ、うつむきしゃがんだ視界が明滅する。
「みないで、くれ」
 怪物の本性を知られたくない。嫌われたくない。美味そうだ。逃げてくれ。食べたい。ずっと待ってた。その血が欲しくて堪らなかった――

 背後に回り込まれ、しなやかな腕が首に巻きついた。
――脳への血流が遮断されれば意識は落ちる。
 薄れる意識で理解しながら、彼女が自分の身を守ってくれて良かったと思った。鬼とは違って容易には死ねないが、相良になら。俺を殺せる方法を明かしてもいい。
 長く生きてきて、初めて惚れた相手に殺されるなら、それでもよかった。

 目覚めたのは俺の部屋だった。
 四肢の拘束も口輪も無く、ただ病人を介抱する様に寝かされていた。額から濡れた布巾がずり落ち、俺の寝台に突っ伏して眠る彼女を見つけた。
 思わず手が伸び頬に触れる。ぱちりと金色の瞳がまたたいた。
「おはようございます。体調はいかがですか」
 無表情が微かに緩む。布巾を桶に入れ、俺の額に手を当てて熱を診る。問題無いと結論づけ安堵を見せた。些細な仕草が愛おしい。彼女が笑うたび抱き締めたくなる。
 柔い身体を組み敷いて首筋に食らいつく俺の画が、鮮明になっていく。
「マキさんの異常が何かは分からなかったんですが……鬼化変異なら、初期発作さえやり過ごせば概ねの個体が正気に戻りますから。……手荒な真似をしてすみません」
 誤解してくれた分には有難かった。それに――俺が鬼化変異を起こしても、理性さえ戻れば問題ないと考えている。「無角なら不便も少なくて済みます」とすら言った。
 恐らく彼女は、――俺が鬼化したとしても、変わらず傍にいてくれる。
 嬉しかった。胸の辺りが甘く疼く。愛しさが増すごと、吸血衝動も強くなる。
「……俺が、……鬼よりも醜悪な怪物だったら、どうするつもりだ」
「人でないことが、そこまで重要とは思いませんが……」
 さらりととんでもない発言をしながら、彼女が俺の手を取って微笑む。

「怪物の側面も含めて貴方が在るのなら、私は、貴方が怪物でよかった」
 きっと俺は、一生かけても相良に敵わない。

 彼女を押し倒そうとしていた本能を、最後の理性で押しとどめる。
 いぶかしまれるのも承知で術式を構築し、相良の額に触れた。
「マキさんの瞳、そんなに赤かった、です……」
 寝息を立てはじめた彼女に毛布を掛ける。部屋まで運びたくとも、今は自殺行為だ。
 身支度を整え、眠りこむ相良に牙を突き立てる前に家を出た。