日陰から日向へ。流される場所をすげ替えても、特にやる事は変わりません。
何か行動を起こすのなら、誰かの利益になる方がよろしい。
望みが無いから「ある」ひとを探した。許しを貰い、私の時間を使わせていただいた。知識も技術も拙いなりに、出来る限りを。無為な命を多少は有為に転換していきました。
一度死んでから「やっぱりやめた」と生き返ることは出来ませんので、今のところは生きていることにいたしましょう。そう焦らなくても、死ぬことならいつでもできます。
「誰かにとって、いいことが起こるように」。言葉にするならこれが近いか。
なので初歩的ながら、笑っていただけることが一等に嬉しかったかもしれない。
色々なことに付き合ううち、浅く広くの技術を得た。それが呼び水であり基礎であり、出来ることはまた広がって、どんどん新しいことを覚えていった。趣味と呼べそうなものもできました。「やめろ」と言われたら躊躇いなく捨ててしまえる程度ですが。
自分が無いと言われれば仰る通りで、それでも今の生き方は、嫌いではなかった。
「あんまり似すぎてて、正直ちょっと引いた」
氷崎さんから死神へ、お仕事が持ち込まれた。後にも先にもこれきりだった。
鬼から子どもを守る依頼。氷崎さんが護衛対象の顔写真をお持ちになられていました。中学生くらいの子で、お名前を和泉さんと仰るそうです。
「でも、僕もあれは琥珀じゃあないと思った。声なんか気持ち悪いくらい生き写しって感じはするけど、別人」
「ご理解いただき恐悦至極に御座います。して、貴方なりの根拠は?」
「……甘い物見せた時の反応? 雨屋もさ、なんて言うか……いじきたない、」
「あー、ええ。そんなこと仰います? 私ちょっと傷つきましたよ」
「僕は苦手な類だろうなって印象。……それで、できそう?」
氷崎さんが、私の眼をやけに見つめてらっしゃいました。
へらりと笑って請け負った。
「やれますよ。ええ、お引き受けします」
観察の限り鬼の身体能力は規格外なのですが、頻りに空気を嗅ぐ素振りをしているのが気に掛かる。鬼には極めて嗅覚の鋭いものもいたから、その手の個体とあたりをつけた。
風下から鬼を追尾し、廃屋の屋根で子どもに食らいついたところで鼻面へ香水を噴霧した。鬼はギャンと鳴いて子どもを手放した。犬だなと思いながら思案する。
先ずは子どもを助けるべきか。鬼が怯んでいる隙に畳み掛けるべきか。
鬼は規格外に強い。私の脚では振り切れません。
子どもを助けるには鬼の排除が必須事項。下は土だ。この高さなら打撲で済みます。
狩るべき鬼を掴む。
和泉さんの身体が落ちていく。
視界の端でゆっくり地面に吸い込まれていく子どもを――見送りました。伸ばせば掴める手のひらが、小さくなって遠ざかる。
――、ああ。
――あれは「墜ちる」ほかに無いでしょうね。
冷静に呟いて目前の捕食者に向き直った。その命を刈り取るのが先だと、墜落していく子どもなどあっという間に意識から追いやって。
腐った死体に楔を打ちこむ音がした。
死神という代行屋の復活は一夜限り。けれど噂は不在の間も消えていなかったようで、代行屋への依頼はゆるゆると溜まり続けておりました。
頼まれてしまうと断れません。もちろん全ては無理なのですが。
しかしながら死神は、厄介な人に目を付けられてしまいました。代行屋を畳んだ一因には戦略的撤退の意味もございます。動けばそれだけ捕捉されやすくなるでしょう、辞めたほうが賢明です。
その厄介な人と、雨屋として既にお友達になってしまった辺りは――どうしましょうね。ええ。好きでこうなったわけではないんですよ。居心地よくて、つい。
彼に召し上がっていただくお菓子を考えつつ「もう辞めよう」と思うのですが、そういう時に限って様相が異なるのです。依頼書から錆臭い匂いがして、見てしまいました。
血で、殴り書かれた文章でございました。
――あの場所に戻りたい。取り戻したい。俺が理不尽に奪われたもの、諦めさせられたもの。手放したものを、全部。
不条理に打ちのめされる声を、なぜか諦められませんでした。
そのような事を続けて捕まりました。彼はやはり、私に引導を渡す役割だったようです。
最後のお菓子には琥珀糖を選びました。かつて頂いた名を、お返ししたかったのです。
私は「琥珀だったもの」です。いま呼ばれてもお返事しかねるのですが、捨てきれない意識が引っ掛かるのは困りものでした。多々良様なんかその名ばかりお呼びになりますから、どうすればやめて頂けるのか悩んでいたほどでございます。
すると。琥珀の師ではなく、雨屋の友人となられた彼には――失礼でしょう。
琥珀として振舞うことは、私の本意でもございません。綺麗であまいお菓子に目がない彼のことです、何を言わずとも、琥珀糖はお気に召されると思ったのですが。
「私の勝手な心残りに、お付き合い頂いてもかまいませんか」
「雨屋」をお認めくださったご友人に不誠実をするのは、よろしくない。
お許しいただき憂いなく、納得いくお品を献上することが叶いました。きっと笑顔になって頂けたことでしょう。本当なら、召し上がるお顔も拝見できればよかった。
死体を潰し、名を返して。此処に残りましたのは清算すべき罪だけでございます。
罰を課せられねば嘘。報いを受けねば嘘でしょう。それだけの命を奪いました。なのに未だ私には、それらの暴力が正当だったか、身勝手だったかの区別すらつかないのです。
「絞首刑の執行が決まった。死罪だ、雨屋浩太」
多くの生命とその先を奪ったことへの償いが、無価値同然の命ひとつだと仰る。
余りにも不釣り合いではありませんか。贖罪と呼ぶのもおこがましい。
ああ、でも――そうですね。
犯人が生きているよりは、死んだほうが嬉しいに違いありません。
目隠しされたまま絞首台に向き合う合間、自然と笑みが零れました。
口先で調子のいいことを嘯いたところで、命のほかに差し出せるものはございません。出来ることを、出来る限りでしていきましょう。
私はその様に考えます。
私はそれでいいのです。
私は、それがいいのです。
死人に与えられたロスタイム。
幽霊の余生は、お終いだ。
