斯くして少女は拾われた②

「やけにさっぱりしてんね」
 私の姿を上から下まで見て三秒、黒髪の彼はそう言った。
「手段たって、君にあるのはそのお人形さんみたいなツラしかないからね。演技であえいで出すもん出させて消耗させるしかないと思ってたけど」
「……意識を失うほど疲れるのですか?」
「体力無いお貴族サマならそんなもんでしょ」
「男性というのは難儀な生き物であらせられる」
「個人差だろ。……さ、鍵。早く寄越しな」
 手のひらを差し出される。私が要求を飲むことは決定しているらしかった。
 鍵を取り出す。彼の瞳孔が開いた。鍵が本物だと確証を得てから、切り出した。
「最悪の場合、この家が取り潰しになってもいいように。無力な子どもが身を寄せられる場所を教えてください」
 彼は目を見張り、すぐ曇った。面倒だと言わんばかりの渋面に舌打ちが重なる。
「……人形の癖に一丁前に交渉の真似事しやがって」
「貴方への交渉材料はこれしか思い付きませんでした。手に入るかが賭けでしたが、無事にってこれましたから。取引させて頂けませんか」
 私はこの屋根裏のほかに住む場所が無い。だから現状、この家の不利益は私の不利益でもある。目的の核心を明かして貰えない以上は最悪を予期した準備をさせて欲しい。
「まあ、別にいいけど」
 表面的な嫌がりようの割に、あっさり承諾されて拍子抜けた。
「君、読み書きはできる?」
「……ある程度の心得なら」
「そう」
 迷いない筆致の地図と所在地の書き付け、その場所までたどり着くに足るらしい金銭を受け取る。説明は端的で、私でも理解がやさしい単語ばかりだ。
「君みたいな行き場の無いガキが集まってる場所だ。僕の名前で口利きしておいてやる。もし迷ったら、電話か手紙寄越せば大人が回収に来るから。質問はある?」
 私は非力な細腕の子ども、彼は大人の男性だ。
 鍵を力ずくで奪うことも可能だろうにそうしなかった。不慣れにしつらえた、不格好な交渉の場に立ってくれた。真偽はさておき要求に沿った情報を提示してきた。
「等価の報酬です。貴方のお話、承りましょう」
 性根が良いのか悪いのか、よく分からない人だ。

 それから夜を二度越えた。
 来客の無いよいの空気は驚くほど清々しかった。窓を大きく開け放って、遠くの空が白むまで、生ぬるい夜の匂いを嗅いでいた。
 明けの清廉な月は、鍵を奪った夜にかさなる。

 あの男は、きっと初めて涙を見せた。
 ひとしずく。落ちた水滴を嘘のように見守って――ぼろぼろと湯水が湧き出て止まらない。どちらかというと困っているうち、抱き締められて自由が利かなくなる。
 不完全な魔法の成否はわからない――いや、
「……とうに分かってた。お前によく似た人形は、お前じゃない。お前にはなれない……おれはずっと、よくできた幻覚のおまえを抱いていた。だからこんなにも虚しいんだ。
 手の届かないお前が好きだった。おれ自身信じられなかった。生きた人間に惹かれたのは初めてだったんだ。ああ、そうだ。初恋だよ」
 きっと私は失敗したのだ。
 だから彼は正気に戻った。欠陥品が粗を晒したから、母ではないと気付いたのだ。
 彼はすがって泣き続ける。喪失を直視して、痛みを現実とみとめた。
「お前の底知れなさが恐ろしかった。息づく情熱を美しいと思った。……生きた人間の、肉の身体に潜むおぞましさに触れたとしても構わなかった。お前になら、呑まれたいとすら思ったんだ」
 不完全でも母の影なら御せただろうか。いや。偽物だろうと母に会わせる気はない。あの手が母に触れるなど想像の範疇でも許すものか。この人間がやった所業はそういうことだ。
 母から舞台を奪い、未来を奪い、歌を奪った。――私が責められたことでもないが。
「俺の人生、滅茶苦茶にされたかった。お前の手で触れて欲しかった。俺も知らない生きものに、作り変えられたかった」
 得体の知れない熱だった。私の知らないものだった。目前の人は、そういう感情に浮かされていた。その身の制御もきかなくなるほどに。
 どうしようもなく、母に恋い焦がれたのだろう。この人は。

『おまえという星に、届いてみたかった……音羽、』
 そう、泣き疲れて眠った人は、三度目の夜を誘う夕暮れ時に殺された。

 頭を片手で掴まれ、宙ぶらりんの四肢は脱力し動かない。廊下の壁に吹き付けた血飛沫は、鼻をつくなまぐささが無ければ鮮やかな絵具に間違えそうだ。
 死体が床に落ち、べちゃりと血が跳ねる。
 涼しい顔をした犯人は、件の黒髪の侵入者だった。
「なに。君、屋根裏で引きこもりしてるんじゃなかったわけ?」
 断末魔が聞こえたのだから、様子を窺いもする。
 彼はふうん、と興味もなさげに相槌を打った。「いちおう喉かっさばいたんだけど」と、脂と血に塗れた刀に視線を落とし、刀身の血を拭って鞘へと収める。
「僕のことは黙ってな」
「畏まりました」
「ん、良し」
 本邸の人間が当主不在に気付きつつある。離れにも捜索の手が回っていた。未だのんびりした足音が殺害現場に行き当たるのも時間の問題だ。
 当の犯人は屋根裏の窓枠に足掛け、景色の向こう側へ身を投げる――骨の折れた音はしない。かなり高さがあるはずだが。
 窓に乗り出し下をのぞいた。彼は五体満足に離れを仰ぎ見ている。
「意外と早かったね」
 暮れの藍空に悲鳴が響く。当主の死体が発見された。
 錯乱した声が暴れている。『旦那様は悪魔に憑かれていた』『そいつは物置に居るはずだ』――忙しない足音が迫ってくる。
 青い瞳はちらと此方を向いた。鼻で笑ったままの声が、
「君に教えた託児所。今すぐそっから飛び降りられんなら、連れて行ってやってもいいけど? ……なんて、」
 半笑いが固まりかけたところまでは、見た。

 外気に包まれ肌が冷える。ふっと身体は浮遊して、窓枠を蹴った足の下にはなにもない。
 宝玉のれきをぶちまけた星海が、すぐ目の前だ。
 一瞬だけ焼き付いた空はすぐ、加速度と重力に引き伸ばされて形を失くし――次に認識できたのは、屋根裏で見ていたものより高い空。飛び降りた実感が遅れて来た。

 あとは、そう。荷を受け止めはしたが「嘘だろ」と表情で訴える彼の、面白いほどの顔の引きりよう。
「……あ、っりえね……っイカれてんじゃねぇのお前!?」
「……要求した側の台詞ですか、それ」