2-11-3 反旗・下

 教室の席から。体育館の壁にもたれて。
 望んで作った心地よい日陰で、その軽薄は、どうしようもなく目についた。いつも頭の足りない馬鹿をして怒られて、笑われて、道化として輪の中に溶ける賑やかし。
 地味ながらも隙なく器用なその才能が持て囃されないのは、集団での立ち位置が残念なお調子ものでしかないから。ばかだなぁと遠目に眺めて、ばかだからああ居られるんだろうなと目をそらす。
 鼻にかけない、気取らない。だってそもそも本人が気づいてない。
 今はもう他人でしかない同級生は、こっちから才が見えるぶん、無自覚な能天気が鼻につく。気にして視線を引き剥がすたび、無い心がふつふつ煮えた。
 ろくに持たないくせに妬みばかりは一丁前か――人でなしの人格の、中途半端な肉感が気持ち悪い。
 面倒くさい劣等感が嫌だった。
 意識しなければ苛まれる必要もないなら、避けられないのは自分のせい。へらつくお調子ものを無視できないせいだった。
 視界に映る顔を塗りつぶした。壁を作ってほっとしていた。

 ずけずけと我が物顔で入り込んでくることは、うんざりするほど分かっていたのに。

 要らないときに要らない顔が見えるせいで、遠ざけていた生臭さを直視させられる。取り除けるなら捨ててしまいたい、気味が悪い厄介なしろもの。
 友達だと笑うことも、居場所を作ることも、軽々しくやってのける神経が嫌いだった。生きてきてそんなものに価値を見いだしたこと一度もない。今もそれは変わらないのに、「きらいだ」という関心を勝手にぞろぞろ連れてくる。
 持たない人間がどれだけ足掻いて「普通」の場所に立っているのか想像もしないくせに――なんて。膨らみすぎて御せなくなった嫉妬の矛先が真っ先に刺さる、格好の的だからなんだろう。

 ■

 自動拳銃が最後の空薬莢を吐きだす。
 屋外の実戦訓練場を揺らしていた銃声は一時とぎれた。休みなく轟いていた音の圧力が唐突に消え、幻聴に似た感覚が耳奥でくすぶる。
「ごめん、聞こえなかった。なに?」
 訓練用の障害・遮蔽物が配置されたフィールド――積み上げられた古タイヤの陰から風見の靴が見える「そちら」へ、過熱した二丁拳銃を向けながら。氷崎は慎重に呼びかけた。
「しゃべってもくんねーかと思った……こええんだってば」
「話し込みながら戦う余裕なんて、僕には無いよ。終わり?」
「いやいやいや待って。まだ全然しゃべり足りねーもん。な?」
「そう」
 右手の銃の弾倉を替え、用意していた数丁の自動拳銃と入れ替える。
 交代した銃身も冷めきってはいないから、そろそろ潮時かとも考える。
「オレ、イズミちゃんのとこ行ければそれでいいんだって。あのカベ操作してる奴だけ教えてくんね」
「僕だよ」
「……脅されてんの?」
「ないよ。それに、雨屋パトロンの利益は僕の利益でもあるから」
「ぱとろん」
 静かになった。見知らぬ単語の意味を考え込んでいるらしい。
 会話で気を逸らして反撃――とかはからない単細胞を、素直に笑えない。
「お兄さんなら間に合わないよ」
「え、」
 呑気に出てきた脳天めがけて引き金を引く。

 転がり出た的に追い打ちをかけながら、間合いを保って移動する。
――油断していても射程圏内の銃弾は避ける勘。相変わらずふざけてる。
「髪……!? ぜってーハゲた!! ちょっとだけ!!」
「気にしてたんだ?」茶髪に染めてるのに。
「うちの男は代々そうだ、将来ハゲる諦めろって昔から脅されてんの!! 他人事じゃねえからな!? じいちゃんの遺影ちゃんと見とけバカ!!」
「見れたら見るよ」
 風見は左脚を引きずっている。
 弾幕から逃げ続けた消耗を差し引いても、左だけ。庇っている様な走り方――まあ、そうか。訓練用の樹脂弾とはいえ食らえば痛い。

 風見に、冬部ほどの持久力は無い。体力切れも麻酔による無力化も可能。
 火がつくと怖いなら、火をつけなければいい。
 飽きやすい、単調な攻撃の繰り返しに終始してきたのだってその為だ。やる気にムラのあるアドレナリンジャンキーは大概、追い詰められた時ほど面倒くさい。
「まともにやって、僕が博己に勝てるわけないからさ。ちょっと悪いんだけど多少の入院で済むだろうし」
「全っ然悪いと思ってなくね!? つか、オレの優しさ!! 誘導かなって察してたけどここまで来てんの!! オレ!! なぁすばる!?」
「そうしたら、心配したお兄さんがお見舞いに来てくれるんじゃないかな。うまくやれば二人きりになれるよ。ほら、何一つ悪い所が見当たらない」
 少し気を逸らしてやるだけで、ばかみたいに弾が当たる。
――それはそうか。油断させてるし、舐めてかかってるんだろうし。
 耳栓をこめなおした。銃声は不思議とうるさく感じないけれど。
 会話をする気がなくなったから、それでいい。

 刀の間合いに持ち込ませない為の銃撃は単調だ。隙を与えず牽制射撃を続け、完全な弾切れを避けて片方ずつ弾倉を替える。フィールドの地形のうちでも、より突破口の少ない方へ追い込みながら。
 消耗狙いのつまらない策でも勝ち筋だ。なのに、この不快感は何だろう。
 腰に提げたホルスターに収まる回転式拳銃リボルバーは、まだ冷たい。

 銃を持ち替えようとして――傷んだ赤茶の髪が、視界に映った。

 躊躇いは一切ない。
 無い隙をこじ開けに来たと、肌で感じた。

 二丁拳銃の一方を捨て、両手で構えた一丁を連続で発砲する。より照準の定まった被弾をうけてなお風見は止まらない。
 障害を避け、乗り越え。気分任せの足取りは、氷崎の背後へ回り込むよう距離を詰める。
 氷崎の耳に、気楽な口笛が聞こえた気がした。
「――……ほんっと、」
 風見の視線が障害物で切れたタイミングに、近くの壁へ身を隠す。風見が氷崎を見失った一瞬のうちに、ホルスターから回転式拳銃リボルバーを抜いた。
 狭間通りで入手した銃に手を加えた、改造麻酔銃。
 氷崎を探す風見の視線が、銃口とかち合った。

 急停止した風見の鼻先を銃弾がかする。
 咄嗟にぐらついた重心が崩れて、二発目は幸運。倒れ込みついでに地面を押し込み、氷崎に向かって真っ直ぐに加速した。
 その手元で刀の鯉口を切る。
 直感と言えば聞こえのいい、要は博打――「弾道」目掛けて抜き払う。
「……っしッッ!!」
 砕けた弾が、風見の頬に赤を描く。
 刀に付いた破片を振り払った。間合いはもう、刀のそれに届く。
 氷崎は真っ向勝負を選んだ。迫りくる風見の中心を捉えた発砲は、回転式拳銃リボルバーに叶う最速の連射。

 その的が「落ちた」のは、風見自身も想定していなかったらしい。

 風見の左脚がもつれ、前のめりに身体がかたむく。
 手首を蹴られ、風見の手から刀が離れた。銃のグリップでの殴打は顎へ――衝撃でぐらつく視界に、銃口。
 脊髄反射で地面を転がり弾を避けた。喉にせり上がる不快感も、今ばかりは風見の目に入らない。
 膝ついた風見が、懐から銃を抜いた。


 氷崎の耳栓は、いつの間にか抜け落ちていた。
 地面に身体を投げ出したまま。仰いだ空の薄青を背に、肩で息する風見の笑顔。
「つまんなさそーなカオしてんなよ。すばる」
――そのしたり顔は何なんだ。
 額に銃口つきつけながら言う台詞でもないし、なんで突っ込んできたのかも結局よくわからないし。言葉が出てこなくて黙っていたら、目の前で「無視すんなし」と零した顔がムスッと膨れた。もしかして理由そこ?
「……初めからそれ使えたよね。手心のつもりだった?」
「、……やべ。弾丸タマ入ってねーんだった」
「……言っちゃ駄目だよそういうこと」
 銃身をわし掴んで、無理やり銃口を逸らす。
 わかりやすく焦りだす風見を白い目で眺めて――やめた。
「……分かってたよ。敵わないって」
 既に勝負は決まっている。

 初期で配られた手札が違って、適性も違う。そんなの昔と同じことだ。
 博己は武術、僕は医術で。適材適所の役職に不満はなかった。暴力要員ばかり増えていくあの場所の医局は常に人員不足で、有難くも仕事には困らない日常を享受していた。
 その日常が焼け落ちるまでは。
『んじゃな。行ってくる!』
 武装した彼らを、地獄へ送り出すしかできない自分を悟るまでは。

 あれを後悔と呼ぶのかは解らない。
 仮に、当時の僕に戦闘能力があったとしても、結末は変わりなく負け戦だった。逃がされた非戦闘員ばかりが、一人残らず掃討された反乱軍の顛末を知ることが出来たから。
 僕が銃を持つのがいびつなんだ。
 解っていても武力を求めた。覚えているのが間違いだった。
――まっさらな「初めまして」ができていたなら、余計な嫉妬なんかしなかった。
「……すばる、オレに勝ちたかったの?」
「、……うん」
 天才を妬んだ凡人が、せせこましく足掻いたところで届かなかった。
 どこを見ても嫌になった。持たない自分が、持っている相手を勝手に羨んだ。無い物ねだりなんか誰がやっても醜悪なのに、社会性と協調性ばかり求めるこの時代は、はじかれものの劣等感を刺激することにひどく熱心だ。
 自分の不足ばかり目についた。
 殺しに目を爛々としていた元同期は、難無く平穏な暮らしに適応している。
 同じ場所にいたはずなのに、ばかみたいな差。気にする自分はもっと嫌で。
「……なにを笑ってるの」
「ふ、へへ。なんだよ、すばる気づいてねーの?」
 僕の嫌いなもの全部、想像すらついてないくせに。
 じめじめした自己嫌悪なんか吹き飛ばしてしまう晴れ男が笑う。
「すげー奴から『すげー』って認めて貰えたら、嬉しいに決まってんじゃん」
 今も昔も、そういうところが大嫌いだ。

「……ところですばる、いっこゴメンなんだけど」
「うん」
「ゲロ吐きそう」
「……軽い脳震盪のうしんとうだと思う。吐きなよ、後始末はするから」
「えっなに優し……」
「誰に殴られたかもう忘れた?」

 ■

 休業日の喫茶店内に、ストロベリーブロンドの長髪が華を添える。
 施錠をものともせず不法侵入したフリーライター、佐倉さくらゆめのの視線は鋭い。強盗か空き巣と疑られる所業に踏み切りながら、態度はあくまで泰然と――カウンター席に悠々と腰掛け、ストッキングとハイヒールで彩られた美脚を組んだ。
 上階から転げ落ちる勢いで店へ降りてきた「待ち人」に、佐倉は大袈裟に溜息をつく。
「やぁっと来た。行動がいちいち遅いのよねぇ」
「……警察に突き出されたいのか?」
「……やっぱり、その調子だと『まだ』かしら。……さっすがあたしよねぇ。いまも綻びのない完璧な封印術式、我ながら惚れ惚れしちゃうわ」
 店主たる雪平の剣幕を、華やかな微笑みで受け流す。
 微笑そのまま足組みを解いて腰をあげ、ヒールの音高く店主に詰め寄り――彼を壁まで追いつめた挙げ句、皺だらけのシャツの胸ぐらを掴む。
「あんたの道楽はおしまいよ。いい加減、思い出して貰うわ」

 怒りより戸惑いが勝る雪平は、懸命に佐倉の言葉を理解しようとした。
 思い出す、という単語。雪平が考えても、佐倉との約束を反故にした覚えは無い。

 一見して脈絡のない投げ掛けが、一部の人間には特別な意味を持つことを、彼は知っていた。――とはいえ自覚など無かったから、半信半疑で口にする。
「……まさか。……俺は、先祖返りなのか?」
「はぁ? そんなワケないじゃない」
 じゃあこれは何だ、と。聞きなおす猶予は許されなかった。
 白く形の整った指が、雪平の額に触れたから。

「もっと、ずうっと。常識の埒外らちがいにいるバケモノよ」
 赤い唇が、にんまりと弧を描いた。